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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

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妙高 関山権現

2015年8月

上杉謙信が、当主の仕事に嫌気がさして出奔(家出)した時にいたと言われている場所です。

静かな神社。お社の天井や欄間の細工がかっこいいかんじ。



  


なんかあった。軍艦妙高記念碑とかなんとか。


土塁と堀も見受けられます。
昔はこういう神社やお寺は避難所のような役も果たしていたので、防御用にこういうのも結構ありますね。
 


少し奥に行くと、昔の墓地と、異様に大量にある墓石なんかも。
土塁と堀は下図でメモったところ以外にも広がっていました。
 

赤丸つけたところに、上杉三郎景虎(謙信の養子)の側室さんのお墓もありましたよ。
上杉三郎景虎が後継者争いで敗れた後に、ここへ側室さんが逃げてきたとか。


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妙高市 鬼小島弥太郎館跡

2015年8月


伝鬼小島弥太郎館跡

上杉謙信の側近…と言うか護衛とかしてた猛将の鬼小島弥太郎さんの館跡。
本当にいたのかわからないと言われていますが、私が鬼小島大好きなために、ここは来ないと!と思って。
鬼小島は妙高出身とも言われていますね。

石碑と、後ろになんかの像。


全体的に堀が築かれていますね。
堀全てが当時からの遺構と想定すると、石碑の位置から左右に分断された郭(って屋敷でも言うのかな)があるかんじ…?
結構な広さがあります。
堀もただの四角じゃなくて、クランク状になってる?部分もいくつかあるようでしたー。
また行けたら、堀形状も地図に書いてみようかな。

 



多分、これが噂の弥太郎橋?
橋の左右に武者の絵がありました。




明確な住所はわからないのですが、
 株式会社アルゴスさん(新潟県妙高市東陽町1-1)と
 新潟県妙高市高柳1丁目17-11
の間の、野球場?っぽい広場-空き地の間に石碑と像があります。
株式会社アルゴスさんの目の前ですので、行く方はこちらを目印にするとよいかとー。
google mapさん曰く、新井駅から歩いて20分らしい。






追記。
別の日にまた行ったので、縄張り図を書いてみました。下記ブログに掲載。
やたろう探し 高柳館跡

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春日山 林泉寺

2015年8月


上杉謙信のお城の麓にある、謙信のお墓があるお寺です。
二度目の訪問。



春日山にあった門を移築したって言われてる門。
謙信公祭の日なら、この門が開いて、甲冑武者がくぐるとこを見れる…と後から知りました。
今度行く時は見てみたい…。
あと、その後一般人でも門くぐれる…?って噂も聞いたので、本当だったらくぐってみたい…。



このお寺、緑が多くて、可憐な花がすごく上品に咲いていて、とても素敵なお寺です…。
行ったときに、ところどころにかわいらしい白百合が咲いていたのですが、植えたものではなく自然に生えてきたのだそうです。
色んな季節で見にきて、その違いを感じるのも楽しそう。
 

川中島戦没者慰霊碑


上杉謙信墓

謙信公祭のすぐ後の日だったからか、お花やお酒がたくさん供えられていました。


長尾為景(謙信父)・長尾能景(謙信祖父)墓






こちらのお寺の宝物殿は長尾上杉家関係のものが多いです。
長尾上杉家好きなら、是非とも何度も足を運びたい…。
展示物も昨年着た時と相当変わっていたように思います。
長尾晴景さん(謙信兄)の直筆の書が見れたのがすごい嬉しかったなー…。
今まで観たことが、写真でもなかったので…。残っていたのね。

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直江津 御館と八幡宮

2015年8月

御館
上杉謙信が、関東から謙信を頼って逃げてきた上杉憲政のために建てたお屋敷。
お屋敷って言うか、お城です。
謙信も政庁として使ってたそうな。
現在、主郭の一部が御館公園となってますが、説明看板以外は見事に何にもないですねぇ…。
本当に、御館の乱(謙信の義息子たちの後継者争い)で見事に焼かれてしまったのだなぁと感慨深いものがあります。




府中八幡宮
八幡宮は武人の守護神だそうで、長尾家(上杉謙信の家)も寄進したりしてたそうです。
長尾為景(謙信の父)が春日山城 鬼門守護の霊社としてたとか。
謙信が輝虎名義で奉納した奉納額があった。
狛犬が、頭のところがだいぶ削れてるのか、元々こういう形なのか、不思議な形をしていました。

徳川さんちから奉納された御神馬像とかもちょっと気になる…。
   

お社の裏手にいたたぬきがすごい気になる。たぬたぬ。

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戦国時代の小田原城

2015年9月


戦国時代…北条さんち中心に、小田原城巡りをしてみました。

今の小田原城天守閣も昔から小田原城ですが、あくまでも一部なので、色々跡地見に行ってみたいなと。
前回は石垣山のついでに寄ったので東曲輪のみでしたが、今回はぐるっと回ってみました。

廻ったのはこんなかんじ。
 


①鍋弦小路
江戸時代藩士の家があったらしいよ。

②金毘小路
 江戸時代稲葉氏時代に藩の御細工所、大久保氏時代は藩士の家があったそうです。

③八幡曲輪
裏大門と呼ばれていた場所で、中堅家臣の屋敷があったそうな。江戸時代。


④百段坂
多分、幕末地図で百段坂と呼ばれてた坂。
この階段左いったところが、北条氏祭祀 伝本丸八幡 があったそうです。
更に左が本曲輪。
階段登ったところ左に西曲輪と三味線堀、
右に鍛冶曲輪です。


⑤本曲輪(本丸)と西曲輪
西曲輪は現在は高校の敷地。
三味線堀、堀障子、井戸などが発掘されとります。(今は保護のためにも埋め戻されてる)
その外周が散策路になっており、本曲輪まで歩けて、本曲輪の土塁が見られます。
もうちょっと行った先の高校の南門よりちょい下が曲輪っぽくなってた。
そこは藤原平南堀ってところかな。


⑥八幡山(ここら全体が八幡山)
石碑があるよ。

⑦鍛冶曲輪
江戸時代の稲葉さんの刀工藤原清平さんが住んでいたそうなので、鍛冶曲輪って名前なのはそのためかも?
ただ、戦国時代から重要な曲輪があったとは言われているそうです。

⑧御前曲輪、別名人質曲輪
戦国時代の祭祀遺構らしき敷石遺構が発掘されてるそうです。
敷石でそんなのわかるのか…。普通の敷石となにが違うのか気になるところ。
なお、なんで御前曲輪、人質曲輪と言われてるかはわかってないそうです。


⑨毒蝮平
名前がかっこいい。
けど、蛇じゃなくて植物らしい。あと、別にその植物がここにあった記録はないらしい。
…名前だけが、残ってるの…?
公園になっておりまして、土塁が見られます。

⑩小峯御鐘ノ台大堀切東堀
ばかでっかい堀切です。土塁もあるよ!
堀切の底を歩いて行けるのですが、堀切の大きさを感じられてとても楽しいです。
堀障子、土橋の堀残し、横矢折れ(クランク部分)も発掘調査で見つかったとのことですよ。



⑪三の丸外郭新堀土塁 歴史公園
ちょっとわかりにくいし、開放時間(10:00~15:00頃)が決まってるので行く人は注意です。
小峯御鐘ノ台大堀切東堀を越えてすぐの学校脇に下写真の目印があります。


この公園からは、豊臣秀吉の小田原城攻めで使用された石垣山(一夜城)、富士山砦(細川忠興陣地跡)が間近に見えます。また、海も目に出来る箇所。
目に見える範囲全体が敵で覆われていた当時の小田原城の恐怖の一部を、少しは感じ取れた気がしました。


この公園自体の見せ場は土塁と新堀。
新堀は何で新堀って名前なのかはわからない…。なんのための堀なのかしら?


⑫東曲輪
本曲輪のちょっと下のところ。
現小田原城天守閣を一番いい位置で観れる場所だと思います。

⑬現小田原城 銅門・住吉橋・馬屋曲輪・馬出門・馬出門土橋
銅門の天井のところがかっこいい。


住吉橋の門。この門と銅門の間も虎口になっててかっこいいよ。


馬屋曲輪、わりと説明看板が点々と。読んでるとちょっとおもしろい。


 
切石式井戸。これは発掘されたのを模して作ったっぽい。
雁木。発掘されたのも何故か斜めで設置されてたらしい。
これは発掘されたのを模して作ったのだろうと思う。


⑭現小田原城 東堀~本丸~御用米曲輪
東堀 本丸は元々は堀で囲われていたそうな。


今改修中の天守閣。
右は常盤門横のでっかい松。でかい。


御用米曲輪は今は入れないのですが、戦国時代の地層での発掘調査中です。
道すがらに発掘調査結果や、その写真が掲載されていて、読みながら歩くのが楽しいです。
発掘結果楽しみですね。





北条さんのお墓。
小田原駅 小田原城側の出口出てすぐの「おしゃれ横丁」と言う商店街にあります。
左から、北条氏照(小)・氏政(中)・氏政夫人(大)の墓碑(いずれも、伝・墓碑)
手前真ん中の平ぺったい石は氏照さん・氏政さんがこの上で切腹したと伝えられているそうです。
商店街の通りにひっそり唐突にあります。
綺麗にお掃除され、お花も飾られており、ちゃんと供養されているんだなーって思えて、素敵なお墓でした。
ところで、何で夫人のお墓が一番大きいのかしら。なにか謂れとかあるんですかね?





このほかにも、街中あるいているとたくさんの石碑があります。
この場所はどんな謂れがあるのか~とか記載あって、探しながら歩くのも楽しいです。

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