2015年8月
謙信公祭に合わせて春日山城に来ました。
上越妙高駅にてこんなジオラマが!!
これは…!!すごい!!!!!
もっと写真とりまくっておけばよかったなぁ…。すごいかっこいい…。
今もどこかに展示されているのでしょうか。見に行きたい。
今回は2回に分けで春日山に登っています。
まず1回目は大手門から下図のように進んでみました。
大手門入口がここになります。
上越市埋蔵文化財センターすぐの場所です。
畑をすぎ、山の入口がこんなかんじ。
大手道の一部が復元されています。この写真とこも復元されてるところかな?
結構狭い?人が横に3人並んだらいっぱいなくらい。
馬で登ることは想定していない道なのかなー。輿では登れそうだけど。
登る途中の番所跡。
真ん中の少し小高くなっているところが木戸が作られた土塁の跡で、ここに門があったと言われているところです。
復元された道。きれい。
南三の丸に近づくと、切り通しみたいになっています。実際切り通しかな。
切り通しを抜けると、南三の丸。土塁もあるよ!!
(私、土塁なんか好きだな…)
右の暗くなってるところが大手道。
南三の丸に入るところで門があったそうなので、多分ここじゃないかしらと。
南三の丸を抜けて、本丸方面に進みます。
段曲輪。今は…畑?左の方は畑。
柿崎屋敷跡。
古地図によると(江戸時代のだけど)鬼小島や他の人々の屋敷もここにあったとか。
看板がなくなっていたので、今は行けなくなったのかもですが、昔の軍道の桑取道がここから出ています。
崖をのぞいてみたら、一段下にも曲輪みたいのが。これも防御用の曲輪かな。
景勝屋敷・鐘楼・井戸曲輪を下から見た図
景勝屋敷と、景勝屋敷から見た柿崎屋敷
大井戸。と油流し~。
油を実際流すわけでなく、流したみたいにつるつるで登れないわよ!って意味だそうです。
本丸。
芝生育て中だそうです。
整備のため、以前来た時よりも相当木が切られています。
木があるのも素敵だったけど、木がないと地形がわかりやすいですね。
どの木も随分大きくなってたし、根っこで地形が崩れちゃうとかあったのかしら。
不識庵跡から見下ろしたお花畑跡。
春日山のお花畑跡にやたら執着している私です。
かわいいじゃない…。謙信公のお花畑…。
逆にお花畑から見上げた不識庵跡。のところにある毘沙門堂。
見降ろしたところ。
帯曲輪や道がよく見えます。
なんか、私が持ってた古地図(江戸時代製)にはこの場所辺りが馬屋?とか書いてあったけど、ここに馬は厳しくない…?
字が随分ぼやけてたし、私の読み方が間違っている可能性も。
三の丸。
上杉三郎景虎屋敷跡や、米蔵等があったところ。
ここも随分きれいに木が切られていました。
米蔵側の土塁の形がよくわかるようになっています。
来るたびに余りの狭さに心配になる甘粕さんち。
同行者と「謙信の趣味スペース(予想)なお花畑より遥かに狭い」「ヤバい。お花畑以下の扱い…!!」とか話してた。
いやまぁ、春日山城は傾斜にも建物建てたと言いますし、ここはそもそも住む場所ではないと思います。
お花畑は…土がいるから…。
1回目の春日山巡りはこれで終了。
下記から、2回目の春日山巡りです。
2回目はこんなかんじに巡りました。
謙信公銅像。
今回はここの急な山道登って、すぐに帯曲輪に向かいます。
ここ、めっちゃ登ってみたかったの…。
帯曲輪。
防衛のため、徒武者のみなさんとかがここらへん警備していたのね。
春日山の虎口。
左上に行くと直江屋敷があって、その先にお花畑・本丸。
右下に行くと、千貫門がある方面です。
搦手と空堀。
この先に千貫門があるのですが、ここに橋とか門とかあった?ようなのですが、イマイチ想像ができてない…。
研究者さんたちがどんな風なものを想像しているのか、3Dか模型で見てみていですねー。
こっちがさっきの搦手の裏側。
前から気になってた、なんか道っぽいけど道…?なところ。
上図の真ん中あたりの土塁の間…。
ちょこっとだけ覗いてみましたが、行きどまりでした。
昔は階段や梯子でもあったのかな。それとも防御のためにちょっとあるだけ?
今回びっくりしたのが、上杉神社から、御屋敷跡への道ができてる!!!
看板だけはあったので、どっかから入れるのかなー?とか疑問に思っていたのですが、整備していたのですね。
大喜びで下ってみました。
御屋敷跡
広い!!!ここの発掘作業では食器とか色々出てきたみたいですね。
ちょっと堀?みたいになってる。
道なのかなーって気もするけど、堀かな。
この先行くと用水池。
これで春日山クリアしたかな!と思ったのですが、黒金門行ってないことに気がついたw
次回は黒金門も行ってみようと思います。
ここのところは春日山の整備に市も力を入れているそうで、整備や発掘も徐々に進んでいるとのこと。
次回来た時の状況も楽しみです。