忍者ブログ

あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

埼玉県岩槻 岩槻城

2015年2月

今はほとんど住宅になっている岩槻城に行ってきました。
ちょこっと門が残ってる。


昔はこうだったよ地図。


今はこうだよ三の丸。
\消防署/と公民館。




新曲輪あたりに門があります。実際、この二つの門はどこにあったのかは不明とのこと。

伝・岩槻城城門 通称黒門。
左右がお部屋になっているので、そこでなんか通行する人のチェックとかでもしれたのですかね?
それとも門番さんの詰所?


岩槻城裏門
1770年に修造、1823年に修復されたとわかっているそうです。
お城と言うより武家屋敷の門っぽいですね。
お城の内部の方の門なのかな。



鍛冶曲輪。
堀障子があった箇所みたいです。



その他、写真を撮り逃してしまったのですが、新曲輪・鍛冶曲輪には土塁や堀?と思われる箇所が残っていました。
馬出しもあったみたいだけど、見逃してしまった…。

遺構を見たいのであれば新曲輪・鍛冶曲輪。
その他の場所は随分開発されていて普通の住宅街なので、距離感などを見ると楽しいかもです。
昔の図を見る限り、随分大きな水堀が広がる土地であったのに、これだけ普通の住宅地に開発したのってすごいなぁと。
個人的には、こう言う開発も歴史の一部だと思ってるので、これはこれでおもしろいと思います。

素人目線でアレだけど、岩槻城もお近くの忍城みたいに、水の上のお城なんだなぁと言う印象。
埼玉は川と沼が多いので、要害に使われていたからですかね。
別の言い方すると、平地だからそれくらいしか天然の要害ないし…。


拍手[0回]

PR

春日山城

2015年8月


謙信公祭に合わせて春日山城に来ました。
上越妙高駅にてこんなジオラマが!!
これは…!!すごい!!!!!
もっと写真とりまくっておけばよかったなぁ…。すごいかっこいい…。
今もどこかに展示されているのでしょうか。見に行きたい。



今回は2回に分けで春日山に登っています。
まず1回目は大手門から下図のように進んでみました。


大手門入口がここになります。
上越市埋蔵文化財センターすぐの場所です。


畑をすぎ、山の入口がこんなかんじ。
大手道の一部が復元されています。この写真とこも復元されてるところかな?
結構狭い?人が横に3人並んだらいっぱいなくらい。
馬で登ることは想定していない道なのかなー。輿では登れそうだけど。


登る途中の番所跡。
真ん中の少し小高くなっているところが木戸が作られた土塁の跡で、ここに門があったと言われているところです。


復元された道。きれい。
南三の丸に近づくと、切り通しみたいになっています。実際切り通しかな。


切り通しを抜けると、南三の丸。土塁もあるよ!!
(私、土塁なんか好きだな…)
右の暗くなってるところが大手道。
南三の丸に入るところで門があったそうなので、多分ここじゃないかしらと。


南三の丸を抜けて、本丸方面に進みます。
段曲輪。今は…畑?左の方は畑。


柿崎屋敷跡。
古地図によると(江戸時代のだけど)鬼小島や他の人々の屋敷もここにあったとか。
看板がなくなっていたので、今は行けなくなったのかもですが、昔の軍道の桑取道がここから出ています。
崖をのぞいてみたら、一段下にも曲輪みたいのが。これも防御用の曲輪かな。




景勝屋敷・鐘楼・井戸曲輪を下から見た図


景勝屋敷と、景勝屋敷から見た柿崎屋敷


大井戸。と油流し~。
油を実際流すわけでなく、流したみたいにつるつるで登れないわよ!って意味だそうです。


本丸。
芝生育て中だそうです。


整備のため、以前来た時よりも相当木が切られています。
木があるのも素敵だったけど、木がないと地形がわかりやすいですね。
どの木も随分大きくなってたし、根っこで地形が崩れちゃうとかあったのかしら。



不識庵跡から見下ろしたお花畑跡。
春日山のお花畑跡にやたら執着している私です。
かわいいじゃない…。謙信公のお花畑…。


逆にお花畑から見上げた不識庵跡。のところにある毘沙門堂。


見降ろしたところ。
帯曲輪や道がよく見えます。


なんか、私が持ってた古地図(江戸時代製)にはこの場所辺りが馬屋?とか書いてあったけど、ここに馬は厳しくない…?
字が随分ぼやけてたし、私の読み方が間違っている可能性も。


三の丸。
上杉三郎景虎屋敷跡や、米蔵等があったところ。
ここも随分きれいに木が切られていました。
米蔵側の土塁の形がよくわかるようになっています。


来るたびに余りの狭さに心配になる甘粕さんち。
同行者と「謙信の趣味スペース(予想)なお花畑より遥かに狭い」「ヤバい。お花畑以下の扱い…!!」とか話してた。
いやまぁ、春日山城は傾斜にも建物建てたと言いますし、ここはそもそも住む場所ではないと思います。
お花畑は…土がいるから…。


1回目の春日山巡りはこれで終了。






下記から、2回目の春日山巡りです。
2回目はこんなかんじに巡りました。



謙信公銅像。


今回はここの急な山道登って、すぐに帯曲輪に向かいます。
ここ、めっちゃ登ってみたかったの…。
  

帯曲輪。
防衛のため、徒武者のみなさんとかがここらへん警備していたのね。


春日山の虎口。
左上に行くと直江屋敷があって、その先にお花畑・本丸。
右下に行くと、千貫門がある方面です。



搦手と空堀。
この先に千貫門があるのですが、ここに橋とか門とかあった?ようなのですが、イマイチ想像ができてない…。
研究者さんたちがどんな風なものを想像しているのか、3Dか模型で見てみていですねー。


こっちがさっきの搦手の裏側。


前から気になってた、なんか道っぽいけど道…?なところ。
上図の真ん中あたりの土塁の間…。
ちょこっとだけ覗いてみましたが、行きどまりでした。
昔は階段や梯子でもあったのかな。それとも防御のためにちょっとあるだけ?



今回びっくりしたのが、上杉神社から、御屋敷跡への道ができてる!!!
看板だけはあったので、どっかから入れるのかなー?とか疑問に思っていたのですが、整備していたのですね。
大喜びで下ってみました。


御屋敷跡
広い!!!ここの発掘作業では食器とか色々出てきたみたいですね。
ちょっと堀?みたいになってる。
道なのかなーって気もするけど、堀かな。




この先行くと用水池。



これで春日山クリアしたかな!と思ったのですが、黒金門行ってないことに気がついたw
次回は黒金門も行ってみようと思います。

ここのところは春日山の整備に市も力を入れているそうで、整備や発掘も徐々に進んでいるとのこと。
次回来た時の状況も楽しみです。




拍手[1回]

春日山 謙信公祭とかちどき飯

2015年8月


謙信公祭りに行ってきました。
武者行列と一緒に春日山からくだって来て、広場に行って川中島合戦見て。
火縄銃の実演は近くではみれなかったけど、音が大迫力ですごかったですね。
火縄銃は春日山神社での武者行列出発前と、川中島合戦前に行われるのですが、
武者行列出発前の時は自分は本丸(春日山城の頂上)にいました。
結構な距離があるけど、それでも音がすごくてちょっと感動。
 

武者行列。
この一番前にいる大きな旗を持っている人、このばかでかい旗をすごい振り回してすごいかっこよかった!


米沢の米沢藩古式砲術保存会の方々

この銃の持ち方と歩き方がなんか特徴的でかっこいいですよね。
何か理由とかあるのかな?バランスとるためとか。


Gackさんが謙信役でいらっしゃいました。
馬に乗って駆けてきて、片手で刀持ち上げたまま馬を操って。
おおすっげーとか思ってみてました。



合戦じゃー!!
Gackt謙信が出てきたり、きつつき戦法したり、挟み撃ちしてみたり。
  


とても迫力があり楽しい合戦でした!
最後の花火も綺麗でしたし。
帰り際に、各武将さんと部隊が名乗り?寸劇?してて、それ知らずに帰りかけしまった。
途中で気がついてちょっと見てましたが、そちらも面白かったので次回はちゃんと見てみよう…。





7~8月中、春日山・高田で「謙信のかちどき飯」として、戦国時代にあった調味料・製法だけで作った料理を出してくれるお店があり、食べてきました!
私が行ったのは高田駅前 高田ターミナルホテルのレストラン大黒屋 です。

全体的に味が濃く、おいしかったです。
味の濃さとかから考えて、信長のレシピとか参考にしているのかなー。
出汁は鰹節、味付けは味噌中心。
お刺身が、醤油の代わりに煎り酒(鰹節汁を日本酒に入れアルコール飛ばしたものに梅干し混ぜたもの)だったのですが、これ美味しかった…。私も作ってみようかな…。
メロンと巨峰は当時ないと思うのですが、「水菓子」として出されているからかも。

あと、かちどき酒として、秀吉が愛飲したお酒の復元「天野酒」が出されたのですが、これがまた美味しい…。
買えるかな―と今検索してみたら、今年分品切れ中だった。
来年また検索してみよう。

拍手[0回]

妙高 鮫ヶ尾城

2015年8月


上杉謙信の後継者争いの舞台の一つとなった鮫ヶ尾城に行ってきました。
謙信の養子の一人である上杉三郎景虎は争いに負け、ここで切腹。
後継者は勝者である上杉景勝となりました。

こちらは弥生時代の斐太遺跡もあり、戦国時代の鮫ヶ尾城共々史跡公園となっています。
斐太遺跡の方も防衛用の環濠跡があり、ずっと昔から防衛に向いた場所だと認識されていたのでしょうね。


多分こんなかんじに登って降りた。
(正確な道順はよくわかってないので、大体ここらへん)

ちなみに、大堀切2と南遺構群の下の方にも行こうとしたのですが、途中でハチの巣があり近づいたらハチの数が一気に増えたので断念…。
ハチに敵認識されてた…。


本丸
見渡しが良い!
ここから、春日山城、日本海、箕冠城などが見渡せます。
行くまでちょっとわかっていなかったのですが、妙高って山も多いけど平地部分も相当多いのだなぁと、本丸から見渡して思いました。
敵の軍勢とかよく見えそうでちょっと怖い。


大堀切1
三の丸曲輪・大手道に行く道。
右側が堀切のために大きな崖になっているので、通る時は注意が必要。


三の丸
戦国時代の焼きおにぎりやお米が見つかった場所、だったかな。
土塁も残っています。


三の丸すぐ下にある大きな井戸。


大手道
井戸を進んだ後に虎口。
それより進むと段曲輪になっておりました。
建物も建てられそうな広さだし、家臣屋敷跡とかありそうだなーとか思いました。

登る途中にある景虎清水。
景虎清水に入る道の右側に、段々になっているところがあり、段曲輪かな?とか。
  

弥生時代の斐太遺跡
住宅跡の先に環濠跡がありました。段差がある。
戦国時代もここも利用したりしているのかな。
あと、ちょっと凹みがある場所とかが住宅跡(竪穴式住宅?)らしく、そんなこともわかるのだなぁと感心していたり。
 


総合案内所の近くに竪穴式住宅あって中に入れておもろい。
結構中も明るいよー。


拍手[0回]

高田城・榊神社

2015年8月

高田城


三重櫓
復元したものですね。
内部が展示室になっているので入れます。高田城関係と、ちょこっとお隣駅の春日山城関係。
天井の梁とかが見れるのが楽しいです。


極楽橋
こちらも復元したもの。
本城御門(南門)です。江戸の頃は、この橋を通るを一旦虎口になっており、門を通って本丸へと進むようになっていたそうです。


水掘の蓮(西堀)
蓮終わりかけだったそうですが、それでもとても見事に咲き誇っていてとても綺麗でした。
ここの水堀に蓮が植えられたのは明治4年に藩の困窮を助けようと植えたのが始まり、とのことです。
ピンクと白の蓮があって素敵です。
  


榊神社(高田城 対面所・大手門跡)


馬出し
高田城の大手門(正面玄関)に入るための場所。
ちょっと低くなっている箇所がこの写真に載っていない箇所にもあるのですが、そこが堀になっていたそうです。



土塁色々

拍手[0回]

ブログ内検索

最新コメント

最新トラックバック