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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

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新潟 上越市 楞厳寺

2016年8月

柿崎景家(上杉謙信の家臣)の菩提寺、楞厳寺(りょうごんじ)さんに行ってきました。



柿崎景家さんがお寺を再興したといわれています。
その際、天室光育さん(上杉謙信の子供の頃の師匠)をお寺の住職としてお呼びして、建立したとか。

     
本堂
なんと築300年!
南魚沼の雲洞庵を建てた方がこちらも建てたとか。
昔は茅葺屋根だったそうです。


本堂の中(撮影及びWeb公開許可いただいています)
 
お仏間。

 
元々は修行寺だった頃の名残の看板。

 
天井見てたら、籠が天井にありました。籠ってこうやって保管するんだ…。
住職さんが乗ることもあるんですって。



お寺さんでよく見かける魚の…鐘?太鼓?叩かれる木の板みたいな魚の形のやつ…。
魚鼓って言うみたい?ですね?なんだかかわいい。



山門。
柿崎城の搦手門を移築してきたと言われています。茅葺屋根の素敵な門です。


 
天室光育さんのお墓と、歴代住職さんのお墓。
多分歴代住職さんの一人だと思うのですが、「毒龍和尚」って方の
お墓があってとても気になりました。すごく強そう。


柿崎景家さんのお墓。
元々は五輪塔のお墓だったのが、年月たったせいで不定期型になったそうです。
最近、屋根付きになったそうな。



この時、特別ツアーでしたので、普段公開していない(のかな?)
柿崎夫婦の絵、柿崎景家さんの奥様の厨司、柿崎景家さんのご位牌、天室光育さんの直筆の書状など見せていただきました。
おぉ…とても貴重なものを…と感動でした。
天室光育さん、めっちゃ男らしい字だった。


楞厳寺さんにある位牌では柿崎景家さんの戒名は「籌山雲忠居士」
寺伝では景家さんの奥様の戒名は「陽林喜春大姉」
とのことでした。(奥様の戒名は住職さんに教えていただきました)
景家さんは猛将で有名ですが、外交奉行ってことから、きっと頭が良い人なのだろうなーと思っていますので、私的にはイメージあってるかも。
あと、奥様の戒名がすっごい優しげでかわいいですね!明るい朗らかな方だったのですかねー。



お墓までの道などもとても素敵で好きです。


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石垣山一夜城

2015年1月


豊臣秀頼の小田原攻めの時に築かれた石垣山一夜城
早川駅から歩いて登りました。
坂道になるところまでがちょっとわかりにくいかも。


途中にあったマンホール。
花嫁さんが、裸の男たちに運ばれて…!?
 

途中にあった、小田原城攻め中に病没してしまった堀秀政さんのお墓。


登る途中にこんな看板もあるよ!
そこそこ長い道のりですが、チェックしながら登ると楽しいです。







たどり着いたぜ一夜城。


縄張り図はこんなかんじ。


南曲輪を登ります。
  

立派な石垣!!
小田原城攻めのために作ったって聞いてたので、もっとちゃちいのかと思っていた…。
よく運んだなぁ。
  

天守台に登ります。
 

天守台で小田原城方面?を見た図。
木に覆われてわかりにくいですが、
 天守台 → 本丸 の向こうに小田原と海が見えます。
木がなかったら、すごく見通しが良かっただろうなぁって地形ですね。
 

二の丸から見た本丸。
ちゃんと段差がはっきりあって、曲輪ってわかる。


井戸曲輪。
淀君の化粧井戸とかも呼ばれているらしい。
秀吉に、陣中に来るよう淀君よばれたので、ここに来ていたそうです。
   

予想以上に、立派な石垣とはっきりした曲輪、そして小田原と見通せる位置関係になかなかの衝撃を覚えました。
ここで見てから、小田原城からの眺めも見るとなかなか当時を想像して怖くなります。



ちなみに、一夜城の目の前には「一夜城ヨロイヅカ・ファーム」ってケーキ屋さんがあるんだけど、おいしいのでおすすめです。


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米沢

2016年6月



宮坂考古館
こちらの上杉の甲冑展が見たくて米沢に行ってきました。
上杉謙信、上杉景勝他、上杉家臣団の甲冑も展示されている貴重な展示会でしたよー。
家臣団のみなさんのまでは、なかなか見れることがないので…。
鬼小島さんの甲冑がど派手だなとか。
大熊さんの甲冑の創意工夫と取り外し可能っぷりがおもしろいなとか。
水原さんの甲冑おしゃれだなとか。あとなぜ前立うちわなんだろうとか。


御兜不動尊
地図に書いてあって気になってきてみた。
謙信さんから、兜の前立の不動明王をもらった山城さんが、息子さん(お坊さん)にあげたものだとか。
33年ごとに御開帳してるそうです。次いつなんでしょうね。
お地蔵さんの前にあるこまいぬさんがかわいい。



東町皇大神宮
神社…と思ったら神宮だそうです。神宮と神社ってなにが違うのかしら。
謙信さんが、越後の糸魚川に建てたのを、上杉家が米沢来るときに一緒にお引越ししてきたそうです。



春日山林泉寺
謙信さんのお姉さんの綾姫(仙洞院、上杉景勝の母)が上杉家のお姫様たちの菩提寺として建てたそうです。
なので、綾姫が中期開祖ってやつですね。
元々は越後にあった、長尾家(謙信・綾姫の家)の菩提寺です。
越後にもある。

お墓詣り・お寺さんの見学共に受付があるので、そこでチケット購入してから入りましょう。
お寺さんの建物内には、謙信さんよりも前からあるお釈迦様や毘沙門天像や、
謙信さんも叩いた(!?)とか言う仏壇の鈴(と言うにはでかすぎる…。鐘?)、
長尾上杉家の位牌、直江夫婦の位牌、展示室などがあります。
天井には古い布…もとは綺麗な刺繍かな?っていうの…がたくさんあるのですが、
上杉家のお姫様たちの着ていた着物だそうです。
毎日お寺さんのお仏壇の煙を浴びて、供養されているのですって。

お墓は上杉家のお姫様たち、家臣団のみなさんなどもあり、お名前の知られている方は
青看板付なので、巡るといいと思う。

  綾姫様のお墓
  
菊姫(上杉景勝正室)のお墓

 
林泉寺の門。家老の竹俣さんちの門が寄進されたそうです。


上杉伯爵邸
レストラン・カフェになっていて、米沢の郷土料理などが食べられます。
美味しかった。
お庭も建物もとても素敵。




米沢城(上杉神社)
謙信さんの甥で養子の上杉景勝さんのお城。
上杉鷹山さんとかでも有名。
土塁、堀などが残っております。
 

上杉神社境内の春日神社
こそっとあるんだけど、なんか好き。
ちょっと山になっているのは、越後の春日神社を模しているのですかね。


明治の廃藩置県まで、謙信さんの御遺体が安置されてた場所。
今は上杉藩主の廟所にお引越ししました。



上杉博物館
特別展示「米沢中納言 上杉景勝」展と
常設展内の上杉文華館の今年度テーマ「謙信を生んだ一族・長尾氏」見に行きたかったので。

邦景さん…邦景さんって誰だっけ…。
とか思いつつ、帰ってから調べたら、謙信さんよりだいぶ前の人でした。
そして、手紙だと失礼なやつ☆と思ってたけど、会ったらいい人だったよ~って将軍に、現代のインターネット感覚を少し感じてみた。
謙信さんのお爺さんの能景さんテーマも今度やるようで、気になります。

景勝展は、大河の真田丸やっているからか真田さんち関係のもわりと多かったですね。
お手紙系が中心。
越後国瀬波郡絵図が思っていたよりだいぶでかかった。
ガラスに触らないでね!って書いてったけど、こんだけでかいなら、ガラスの上に載ってじっくり見られるようになってたらよかったなーとか。
と言いつつ、そんな丈夫なガラス作るの大変すぎだし仕方がないか…。


直江兼続屋敷跡
上杉博物館のすぐ裏です。看板のみ。
とても良い場所にあるので、信頼されてる感があって素敵ですね。



東寺町寺院
17寺ほどずら~っとお寺が並んでいる地域です。
看板がありなにかしらーと見てみたら、なんだかとても面白そうな地域でした。
上杉家家臣の芋川家、下条家、竹股家、千坂家の墓所、
上杉景勝さんの継室で、上杉定勝さんのお母様である桂岩院さんが埋葬されたお寺。
(元は林泉寺に埋葬されたが、御実家の宗派と同じだし、定勝さんの意向もあってこっちのお寺に移葬したそうな)
泥足毘沙門天安置のお寺(今も安置されてるのかしら?)
などがありました。
今回時間がなく、前を通りすがっただけでしたが、次回はお訪ねできればと思っています。



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米沢に行ってきたよ。

宮坂考古館で、鬼小島弥太郎の甲冑展示中と言う話だったので!
生で観るの初めて……。
甲冑展中なので、他にも色々甲冑並んでます。
水原さんの前立がうちわで、なんか意味があるのかしら?それともうちわがすきなのかしら?とか気になった。
謙信の鉄扇があったのも嬉しかったなー。鉄扇好き。

取り急ぎ、ぱっとアップ出来るのが食べ物だったので食べ物


上杉伯爵邸


駅弁。

写真まとめたら、記事書く…つもり。

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静岡 葛山城

2016年3月

くずやまじょう かと思ってたら、かずらやまじょう でした。




こんなかんじに登って降りた。

葛山城の特徴ともいえるのが、山城の麓の居館跡の土塁がきれい~に残っていること、だそうです。
私自身、ここまできれいに残っているのは初めて見たのでびっくり。
逆に居館跡なのに堀がないのもなんとなくびっくり。
なんか、平地にある城主の屋敷跡って堀があるのをよく見たから。
戦う時はもう、詰め城である葛山城行く前提なのかなー。近いし。

 
館跡。四角い土地がぐるーっと土塁に囲まれてる。
一部石垣あったけど、それは後世だと思う。


葛山城は仙年寺さんの所有地。
お寺さんにはきれいな紫木蓮の木がありました。
あと、城主の葛山さんについての冊子とかお寺さんで売ってましたよ。

お寺さんから登り始めると、まず葛山氏のお墓。
手を合わさせていただき、更に登っていく…。


竪堀。
写真じゃぱっとわからんけど、たいそう立派な竪堀です。
地元の保存会さんが藪とか木とか整備してくださっているので、とても見やすくて素敵。




虎口を登ったとこの、二の丸から帯曲輪を見た図。
ここは弓取り場?弓の練習場?とか言われてるらしい。
確かにとても長広い。
 


写真撮り忘れたけど、個人的にとても面白かったのが、
二の丸から本丸に上がる道に、変な曲輪っぽいのがあるのね。塀しかたてられなさそうなくらいの。
畝状掘-二の丸間の土塁の高さと、変な曲輪の高さが同じだったので、本丸の門でも立ってたのかな?とか思いました。


広々本丸。
向かい側に敵方、味方方の山城が見える位置なのですって。



本丸の土塁から、山側を見下ろすとゆるやかながらも畝状堀が。
崩れてしまって、ゆるやかなカーブになったんじゃないかな?とのこと。



そして、東出丸(東曲輪)から大手曲輪に向かって下山しました。
東出丸には少しくぼみのあるところがあったのですが、そこはのろし跡じゃないかとのこと。
のろし跡かどうかって、どこで見分けるんだろう?
他にものろし跡かもと言われている場所がいくつかあるらしい。


今回は、西曲輪と水の手には行ってなかったのですが、次回機会があれば行ってみたいですね。







そしてさっきからチラチラっっと写り込んでいるどっかで見たことある甲冑武者。
左から、山本勘助殿、忍びの者、武田信玄殿でした。


葛山城保存会のみなさまに説明していただきながら、甲冑武者と忍のみなさまと共に山城めぐり…。
なんだかものすごい貴重な体験をしました。
刀とか邪魔にならないのかなーと見てたけど、全然木にぶつけたりもせずにすいすい登っていく姿に、室町~戦国辺りの雰囲気を感じてみたり。
あと、身軽な現代の恰好している私が一番登るの遅かった。(体力ない)


ちなみに、甲冑武者がいるのはそういう企画イベントだったのよ~。

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