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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

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聖地巡り的なアレ。

飯山の、鬼小島弥太郎が死んだというか自害した場所と言われている鬼が峯(推定)
長岡郷土史と、頚城文化(および郷土の新井)と、英岩寺(伝・鬼小島の墓があるお寺さん)の住職さんのお話から、
多分ここだろーってかんじで探した場所です。なので推定…。

峯と言うか丘でした。
川中島から逃げてきて、川を越えて、谷を通って、小川を越えてきて、あの山を越えたら故郷がある…って安心できるここに着いたら、力尽きちゃう場所かもなぁとかちょっと思いました。
ここで亡くなった鬼小島については、逸話通りだとちょっと歴史的な意味では合わないかも?とも思うのですが、
(謙信と他の仲間と逃げてきて、ここまでたどり着いたのは謙信と手負いの鬼小島だけで、謙信の足手まといになるからと切腹っていう逸話)
軍記物って小説的な意味ではいわゆる聖地巡りとしてふさわしいし、
謙信と鬼小島じゃなくても、地元の人がそうかも?と思ったような主君と部下がいたのかもしれないし、
小島弥太郎と言う人物のモデルの一人が亡くなった場所かもしれないし、
自分としては来てよかったなぁと思います。

あと、このブログをみて、現地の方が「場所間違ってるぞ」ってなったらめっちゃ恥ずかしいなと思いつつ、そうだったら教えてもらえるとめっちゃうれしいです…。



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乙吉城と乙吉扣城

2017年10月

上杉謙信の家臣 鬼小島弥太郎の居城(夏城・冬城)と言われているところですね。
来たの2回目。
今回も麓までしか来てないけど…。
弥太郎のお墓に参拝させていただきました。


乙吉城は龍穏院さんの裏手の山です。本城、夏城(夏に使うから)。
横に運動場があり、その横手から登れるそうです。
(登ったことがあるらしい地元の方に教えてもらった)
ちょっと進んでみたけど、藪がすごくて道分からなかったので今回もやめておいた。
上に行くと、ちょっと平地みたいのがあったよ~とのことでした。
山菜採りの方とかが時々登って行くそうです。
ちなみに熊は見たことないけど兎とか動物は見るよとのこと。


ななめ前から見た乙吉城。天然の水掘になっている小川がありました。


龍穏院さん入口。
苔むしてて素敵です。苔好き。


一般檀家さんのお墓に紛れて鬼小島弥太郎のお墓。
崖ギリギリのところに立っています。
崖の後ろはさっきの川でした。
お墓は文字などはわからなかったですね。
何も用意してなかったので、お花もお酒も供えられず、次回はお供えちゃんとしたいなぁと思います。


御本堂にもお参りさせていただきました。
まさかの弥太郎の守り本尊と伝わる馬頭観音様もお参りさせていただき、一人ちょっとパニックになってしまった。ありがたや。
馬頭観音って、見た目は普通に観音様なのね…とか思って拝んでた。
(馬頭観音の石碑はよく見るけど、観音像はちゃんと見たことなかったので…)
お寺さんにいただいた冊子を見ると、地震で大破してしまっているらしい。自分にはよくわからなかったけど、どっか壊れてるのかしら。
お寺さんの略史までいただいてしまった。ありがたや。



乙吉神社こと乙吉扣城。こちらが居城で冬城。
冬になると、夏城こと乙吉城は雪で登るのが大変なのでこっちで過ごしたのだろうとのこと。

  



城跡までの登り口がわからんかったので、神社さんでお参りして、その周辺うろうろさせていただきました。
ちょっと曲輪っぽい?ところが見えたように思うけど、馬場みたいですね。


堪能したので帰りがけに近場の図書館へ寄ったところ、縄張り図発見。
うーん。前後しちゃった。
乙吉扣城へは、ちゃんと登り口があるのを縄張り図で確認取れたので、次回は登ってみようと思います(´▽`*)




ちなみに、栖吉城にも向かってみたけど、途中で砂利道になって体力の限界が来始めたので諦めた。
しかし!
ちょっと馬だったら余裕で行ける距離ですね。栖吉城と乙吉城。
栖吉城は謙信の母方の城と言われてますし、少なくとも謙信側の後見人側の一族です。
弥太郎って謙信の子供の頃からの家臣と言われてますし、こんだけご近所さんなら、味方になるよう後見人側の人間が付けた味方なんだろうなぁとか思った次第です。
(弥太郎が実在し、乙吉城が本当に居城とした場合。)
(乙吉城辺りに、小島家がいたのは史料に残っているので、少なくともモデルになった人の一人はここの人なんじゃないかなって)

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長野県下諏訪町 桜城

2017年5月


長野県下諏訪町 霞ヶ城の詰城じゃないかなーって言われているところ…だったと思う。

お花がたくさん咲いているところが本丸。


頑張って車道を登ったところで入口。


本丸に登ったところ。
矢印のところが、さっきの霞ヶ城跡。諏訪神社もそこ。


曲輪もあるよ。



下る途中にあるお社群。
一念石と言う石があります。
城主の金刺盛澄さんが、源頼朝からの出頭命令に遅れて処刑されようとなった時、梶原景時のとりなしで流鏑馬の技見せて処刑免れましたーってお話があるそうで、
その流鏑馬の前に桜城で座禅組んで精神統一したと言う昔話から、
ここに座禅石を置いたそうです。
  


以前…何年前?10年くらい前?に来たときは、全然整備されてなかった(…と思う…)ので、ちょっとびっくりでした。
地元の方々が頑張ったのでしょうね。

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長野県下諏訪町 霞ヶ城

2017年5月

霞ヶ城(手塚城)

下諏訪町にある諏訪神社横のホテル山王閣さんがある場所が跡地です。
手塚別当金刺光盛の居城跡。
木曽義仲の部下で、平家物語にも出てくる人です。

諏訪湖が良く見える、坂の上にある居城跡。
ちょい高い場所だから見渡しもよいし、そこまで高くはないから居城として住むにもいいところだったのかな。


銅像あった。手塚さん?




ホテル山王閣さん、前に泊まったこともあるのに城跡って気が付いてなかったわ…。

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長野県信濃町 土橋城

2017年5月

野尻湖の近くにある平山城。
場所的に、琵琶島城と連絡取り合う用の砦かなぁ~?とかぼんやり思ったりしてました。
歩いて行けるし。

上に登れるのかしら…と周り歩いてみたら、道っぽいのはあったけど、行ってもいいのかわからないので、まわりだけ見てきました。




馬頭観音の石碑があった。

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