2016年3月
くずやまじょう かと思ってたら、かずらやまじょう でした。
こんなかんじに登って降りた。
葛山城の特徴ともいえるのが、山城の麓の居館跡の土塁がきれい~に残っていること、だそうです。
私自身、ここまできれいに残っているのは初めて見たのでびっくり。
逆に居館跡なのに堀がないのもなんとなくびっくり。
なんか、平地にある城主の屋敷跡って堀があるのをよく見たから。
戦う時はもう、詰め城である葛山城行く前提なのかなー。近いし。
館跡。四角い土地がぐるーっと土塁に囲まれてる。
一部石垣あったけど、それは後世だと思う。
葛山城は仙年寺さんの所有地。
お寺さんにはきれいな紫木蓮の木がありました。
あと、城主の葛山さんについての冊子とかお寺さんで売ってましたよ。
お寺さんから登り始めると、まず葛山氏のお墓。
手を合わさせていただき、更に登っていく…。
竪堀。
写真じゃぱっとわからんけど、たいそう立派な竪堀です。
地元の保存会さんが藪とか木とか整備してくださっているので、とても見やすくて素敵。
虎口を登ったとこの、二の丸から帯曲輪を見た図。
ここは弓取り場?弓の練習場?とか言われてるらしい。
確かにとても長広い。
写真撮り忘れたけど、個人的にとても面白かったのが、
二の丸から本丸に上がる道に、変な曲輪っぽいのがあるのね。塀しかたてられなさそうなくらいの。
畝状掘-二の丸間の土塁の高さと、変な曲輪の高さが同じだったので、本丸の門でも立ってたのかな?とか思いました。
広々本丸。
向かい側に敵方、味方方の山城が見える位置なのですって。
本丸の土塁から、山側を見下ろすとゆるやかながらも畝状堀が。
崩れてしまって、ゆるやかなカーブになったんじゃないかな?とのこと。
そして、東出丸(東曲輪)から大手曲輪に向かって下山しました。
東出丸には少しくぼみのあるところがあったのですが、そこはのろし跡じゃないかとのこと。
のろし跡かどうかって、どこで見分けるんだろう?
他にものろし跡かもと言われている場所がいくつかあるらしい。
今回は、西曲輪と水の手には行ってなかったのですが、次回機会があれば行ってみたいですね。
そしてさっきからチラチラっっと写り込んでいるどっかで見たことある甲冑武者。
左から、山本勘助殿、忍びの者、武田信玄殿でした。
葛山城保存会のみなさまに説明していただきながら、甲冑武者と忍のみなさまと共に山城めぐり…。
なんだかものすごい貴重な体験をしました。
刀とか邪魔にならないのかなーと見てたけど、全然木にぶつけたりもせずにすいすい登っていく姿に、室町~戦国辺りの雰囲気を感じてみたり。
あと、身軽な現代の恰好している私が一番登るの遅かった。(体力ない)
ちなみに、甲冑武者がいるのはそういう企画イベントだったのよ~。