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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

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春日山城の右側

2014年5月 上杉歴史探索 その4 ~再び春日山城~

2014年5月 上杉歴史探索 その5 ~本丸到着~


到着しました山頂!の天守台・本丸跡地です。

 
 

晴れた日なんかは、山の裏手からは海が、正面は街の様子が見れてなかなかすがすがしい気持ちです。
謙信公は、戦国武将にしては珍しく本丸がお気に入りでそこに住んでた…なんて話も聞きますね。
(普通の武将は山の麓の邸に住んで、非常時に山の城に籠ることが多いそうです)
(麓にも邸あったようなので、そっちがメインかもですが)
昔はここで生活してたのかしらーとか考えると、少し楽しいです。


 そろそろ山を下ります。景色も素敵。
あ、戦国時代は見晴らし良くするために禿山にしてしまってたとも聞くので、自然の景色は今の方が素敵かもですね。
 


諏訪堂と護摩堂。

 
写真は、実際の諏訪堂・護摩堂ではなく、護摩堂跡地に建てられた休憩所。
謙信公がここで護摩たいたりしたとかなんとか。
ちなみに、諏訪堂跡はこのちょっと奥。


更に進んで毘沙門堂。
謙信公が実際に拝んでいた毘沙門天像を修復した時にでたカケラをおなかに入れた毘沙門天が奉納されてる…んだったかな。

 
今の春日山城だと、移動に結構手間が。
城があった頃は、ここらへんも橋や階段がかけられてたのかしらーとか思ったりしてました。
ここには不識院跡の石碑も。謙信の遺体が埋められてたとこ?なのかな?
上杉家が移封(要は強制引っ越し)させられた後も、謙信の遺体って春日山城に取り起こされていたんですよね。
で、後からやってきた城主に言われて、ようやく養子で甥の景勝さんが迎えに来たのですけど。
それが、謙信公への景勝さんの複雑な心境を物語っているような気がして気になっている自分です。
※謙信公ファンです。
残してあげたかったのと、連れて行きたくなかったの両方なのかなーとか。


続きまして、お花畑。
 


お花畑って何wwwwとか言われそうですが、本当にお花畑です。
毘沙門天へ供える花や、薬草などを育ててたのでは?と言われていますが、なんかかわいいですよねw
ちなみに、謙信のお姉さんの仙桃院が暮らしていたお城にも「仙桃院のお花畑」と言う場所があって、姉弟共にお花育てるの好きだったのかな、とか思うと非常に愛らしいですw
仙桃院の旦那さんが亡くなった後、謙信公がいる春日山城に仙桃院も帰って来ていたので、姉弟で育てたりしてたかもしれませんね。
戦国武将と言うと戦戦のイメージですが(特に謙信公は戦だらけ)、そう言うさりげない日常や幸せとかもあったのかな、と思うと親近感がわいてくる気がします。
春日山城の中でここが一番お気に入りですw


下って行くと、直江山城守邸。
  
直江山城守と言ったら、直江兼続さんですけど、ここはどっちかと言うと直江景綱さんのイメージ。
景綱さんの娘さん(船さん)と結婚したのが兼続ね。
ここも他の邸跡に比べると大きいです。
有力な家だったのでしょうね。


そしてがりがりーと春日山神社に向かって下って行きます。
 
   
道すがら、空堀、虎口、千貫門跡等があります。
本来は、空堀のところに橋がかかってて、いざって時は橋を落とせるようにしてたのかな?
ここにあったのかなぁ?とか考えながら見ながらあるくと面白いですよ。



そして、春日山神社に戻ってきました!
ら、おもてなし武将隊のみなさんが踊っていました。


かっこいい!
剣を使っての踊りなので、甲冑姿が映えます!
踊った後は、記念撮影、宣伝などなど。
普通の土日だったのに、いつもより人が多かったようで気合入っていたそうですw


 
記念撮影。左から足軽・上杉景勝・上杉謙信・直江兼続・足軽。
そして貴重?な兼続さんの後ろ姿。



お土産も買ってたっぷり楽しんだので、春日山城を後にします。結構階段急。
    



次は、謙信公が幼少期に過ごしたお寺「林泉寺」に向かいます!

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春日山城の左の方。

2014年5月 上杉歴史探索 その3 ~上越市埋蔵文化財センター~

2014年5月 上杉歴史探索 その4 ~再び春日山城~



春日山城の全体図は上図の通り。

今回は春日山神社から、地図の左側から巡って行きます。
春日山神社から謙信公像を通って、道沿いに進んで行くと…
 
甘粕近江守邸跡 甘粕景持さんだよね。
家建てるにも、見張り小屋みたいのしか建てられる平面がない…ので、
恐らく崖にある家みたいに土台の梁を長くして、邸は平面にしてたのかな。
麓にも邸はあったと思うので、こちらは非常時用として見張りみたいな
方しかいなかったのかもしれませんが。


更に奥に進みます。
ちょっと不安になってくるくらい進んで行くと、「大手道」「南三の丸」の矢印看板があります。
 
南三の丸屋敷跡。
地図見ると、宇佐美駿河守邸跡? 宇佐美定満さん。
畑です。

畑に出来るくらいだから、立派なお屋敷建てられただろうと思ったら
看板に「古くから 城の畑 と呼ばれ~」…… 畑なの?


南三の丸屋敷から麓に下る道。大手道。
本丸への正式な道すがらにあるお屋敷なので、防御として重要なところなんじゃないかなと。
この先に、鬼小島邸跡もあるはず。
あと、大手道も一部復元されているそうです。
今回行けなかったけど、見に行ってみたいですね。



城の外側に歩いていたのを、今度は本丸に向かうために内側の上の方に進んで行きます。
 
柿崎和泉守邸。柿崎景家さん。
春日山城内で一番広い平面を持つ邸跡。
春日山城内で唯一庭園を持つ邸だったとか。
ここから、本丸に向かう道、景勝邸に向かう道もあり、北陸方面へと向かう軍道もあったそうです。
軍事面の要の場所だったのですかね。


更に本丸に向かうと…
 
上杉景勝邸跡。
謙信の養子で姉の息子であり、後の上杉家の主ですね。
ここも結構広いかな。ひょうたん型の地面です。


地図で見ると、春日山城の裏側を通って、
 
井戸曲輪! 
大井戸!でかい!!
籠城した時に何が大事って井戸ですよね。
山の城の中に、こんない大きく水をよくたたえた井戸があるってのは
かなり心強いモノがあるだろうなぁと思いますね。


大井戸越えたら、春日山城のてっぺんである本丸です。
それはまだ次回に。






春日山城の風景。素朴なお花が多くてきれいだしかわいいです。
ハイキングにいいかんじ。


2014年5月 上杉歴史探索 その5 ~本丸到着~

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上越市埋蔵文化財センター

2014年5月 上杉歴史探索 その2 ~春日山城~

2014年5月 上杉歴史探索 その3 ~上越市埋蔵文化財センター~



まず最初に立ち寄ったのが、春日山城ふもとにある上越市埋蔵文化財センター。
「謙信公と春日山城展」を行っていました。


展示物は、
滝寺毘沙門堂の本尊「滝寺毘沙門天立像」がメインとして、
謙信が奉納したと言われてる銅釣燈籠がありました。

銅釣燈籠でかいの想像してたら、小さいのね。
銅「釣」燈籠だものね…。
現物見ないと想像と異なることって結構ありますよね。
毘沙門天は、謙信祈願所であり春日山城兵の集結地と言われている滝寺の像だそうです。
この毘沙門天も小さかったです。
謙信が担いでたとかいうのも意外と小さかったりしたのかしら?


他は謙信の生涯、兵力分析、川中島の説明の絵やパネルなど。
あとは大河で使われたものとか、複製品などの展示。
所謂「本物」は景勝さんの代に転封した米沢の方にあるのかも。

大河ドラマ「風林火山」で使われた床絵と、謙信具足複製品。




近くの高田城が400年周年で発掘作業をしているらしく、その出土品の展示も。
出土品の展示が面白かった。
ふっつーーーーの生活道具が出土されるので、昔の人の暮らしがわかって楽しいなぁとか。
焼塩壺や七輪も、今のとは違うってのが面白いですよね。
※焼塩壺はいつの時代のかわかりませんが、七輪は明治維新頃の。





紙で出来た手作り兼続兜。すごい!



おもてなし武将隊 謙信公がお迎えしてくれました。




2014年5月 上杉歴史探索 その4 ~再び春日山城~

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かすがやま☆これくしょん

...2014年5月 上杉歴史探索 その1 ~春日山城~


2014年5月 上杉歴史探索 その2 ~春日山城~


謙信公のお城跡である春日山神社に行った時の写真です。
今回は、前から動物銅像が多くてかわいいなぁーと思っていたので、その写真を集めてみました。

指が写ってしまった。



   

かえる。多分一番多い。



  
猿と犬。兎とかもいた…と思う。
写真撮り逃した><
今度行ったときに撮りたいです。


そしてみなさんを見守る謙信公。



歴史探索的な写真はまた次回!



2014年5月 上杉歴史探索 その3 ~上越市埋蔵文化財センター~

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相馬野馬追 大井競馬場 その2

2014年9月

相馬野馬追 大井競馬場 その1
相馬野馬追 大井競馬場 その2


募金中のおさむらいさんたち。


後ろ姿。


いや、普段写真とかだと正面からしか見れないので、貴重だなぁって(´▽`)



福島県伊達市が政宗さん推しだった。
伊達家発祥の地なんだって。

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