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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

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神奈川 三増合戦祭と信玄の旗立松と田代城

2015年10月

三増合戦祭って言う、武田と北条の三増峠で行われた合戦を記念した?鎮魂祭?的なお祭りがありまして、そこで合戦劇を行うとのことで見てきました。
あと馬。木曽馬見たくて。

行く途中にある胴塚・首塚
胴塚。看板の裏手?の沢に首以外の胴体が埋葬されたそうです。


こっちは首塚。
昔の戦は打ち取った人の首級を奪うからね。
でも、こんだけ近いなら、首と胴一緒に塚に埋めてもいいような気もするけど、なんで分けたのかしら。
  


合戦祭り。
三増合戦場跡の広場で行われました。
自分、歴史は好きだけど戦はそんなに興味ないもんで、三増合戦もよくわかってなかったけど、ドラマ仕立ててわかりやすいし面白かった´▽`
ちなみに、信玄は大将としてずっと舞台で解説してた 笑


鮎おいしい……。鱒は私より二人前で売り切れてしまった。残念無念。


供養塔


右の見切れてる石碑が三増合戦場碑で、左のが三増合戦で亡くなった北条家臣の間宮善十郎さんのお墓ではないか、と言われているそうです。
ここから少し離れた塚場(お墓)ってところから発見された人骨をここに移動したそうな。
   


信玄の旗立松
三増合戦場跡の広場から、ちょこちょこ看板があるのでそんなに迷わないけど、坂だし、土地の持ち主のゴルフ場さん内に入るとちょっとした山道なのでちょっと疲れるかも。

三増合戦の時に、信玄がここに大将旗を立てたそうな。
ここから見てみると、さっきの三増合戦会場が良く見える。
陣地として取るのにいい場所だったのでしょうね。
ちなみに本陣は麓。
松は火事で枯れて、いまはない。



田代城
中学校の裏手。
室町時代の山城ですって。信玄さんの小田原攻めの時に落城してしまったとのこと。
三増合戦の犠牲になったお城なのですね。

中学校も城の一部?だったみたいだけど、中学校の写真ガリガリ撮ってるどうみても地元民じゃない人ってすげぇ怪しくねぇか…とか思ってしまって写真撮れなかったチキン。

  

裏手の道に、城跡(なんにもない?神社がある?)とかwebで見たんだけど、
ぱっと見お墓しかないし、けもの道っぽいのは続いている…?
ようにも見えたけど夕方になりかけていたので、そこで断念。
でも、道…?に夕日が当ってちょっと綺麗な写真撮れました。



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山形 米沢城・春日山林泉寺・照陽寺・千眼寺

2015年10月

何と言うか、めちゃくちゃ寒かった。
地元の方から、冬に近づくとお天気変わりやすいって聞いたのですが、米沢そうなのですかね。
以前来た時は雪に埋もれ、今度は雨風に震え。
米沢のイメージが「とにかく寒い」になっている(´▽`


米沢城(上杉神社・稽照殿・上杉博物館)

ちょうど七五三シーズン始まったところなのか、七五三とかもいてかわいかった。

上杉博物館
上杉謙信・景勝の刀である太刀:姫鶴一文字・短刀:五虎退が特別展示中でした。
姫鶴の拵えが展示されているので気になって。
個人的にめっちゃ好きな、姫鶴の拵えの梅花模様が裏側になっており見れなかったのが残念><
五虎退はなんとなく重厚な感じを受けました。
(ただ、どちらもちょっと展示の仕方がイマイチで、あんまり観察できなかった印象…。なんか見えにくい?)
一緒にやってた特別展「米沢藩医家の系譜」も面白かったです。

稽照殿
謙信の瓜実御剣と胴服、景勝の鎧下着など。
見たことがない/実物は初めてなものとかもありおもしろかった。
謙信、相変わらず服の趣味が良い。

謙信祠堂跡。
明治の廃藩まではずっとここに謙信の遺骸と歴代藩主の位牌があったそうです。
  


西條天満公園とその周辺
三の丸土塁(一部)と、その前にある再現された堀(一部)と、武者道跡
土塁、右のところでばっすーーーーんと切られてる。
左の方はなめらかに下っているので、何か道か門でも元々はあったのかしら。

 

武者道。お侍さんしか歩いては行けない道、とのことですが、
武士が町民町にこっそりお買い物に行く時に良く使ったところだとか。
あと、下級武士の人たちの通勤路。
うきうきしてたけど、あんまり再現されててなくてちょっとざんねーん。



春日山林泉寺
本堂も見学させていただきました。
兼続の漢詩とか、天育和尚(謙信のお師匠の1人)の袈裟とかあった。
上杉家の位牌がおかれた部屋があるのですが、謙信の父為景、兄晴景、姉綾姫、景勝正妻菊姫等、知っている人がオールスターのように並べられていました。
長尾上杉家の位牌を集めたので当り前ではありますが。
政景さんもあったような気がする。(メモってなかったのでうろ覚え)

甘粕景綱のお墓。謙信・景勝に仕えた人。
 

鐡孫左衛門のお墓(黒金孫左衛門さんだと思う)
景勝さんの側役の黒金さん…?と思ったけど、泰忠さんってかいてあるから、その家を継いだ人の方かな。
 

直江兼続・お船のお墓
夫婦ともに景勝さんに頼りにされていたそうですね。


長尾権四郎家のお墓
侍大将さん。二十五将の一人。
 

武田信清のお墓
景勝さんの正妻菊姫の弟さん。
武田家が滅亡したので、上杉に嫁いでいた菊姫を頼って上杉に来て、そのまま家臣になりました。


吉江宗信のお墓
謙信・景勝に仕えた人。
 

杉原親憲(水原親憲)のお墓
謙信・景勝に仕えた人。
なんとなく好き。


秋山源蔵
元服してすぐくらいの謙信に仕えてたって言われている人。



歴代和尚の墓(天室光育和尚、益翁宗謙和尚など)
和尚さんはまとまったお墓に入るものなのですかね?

  
謙信姉、景勝母 仙洞院(綾姫)
なんとなく好きな方です。
なんでお墓二つあるんかしら?それとも、左の仙洞院って書いていある方だけ?


景勝正妻 菊姫
武田信玄の娘さん。
信玄・謙信共に亡くなった後、後継ぎの勝頼・景勝によって、結婚が決まりました。
上杉家は武田家と争っていたのに、菊姫は上杉家から敬愛されていたみたい。
力持ちエピソードが好き。



照陽寺
上杉憲政さんのお墓。関東管領。
上杉家を謙信に譲った時に、謙信の養父となりました。



千眼寺
色部さんちの菩提寺。
色部勝長さんのお墓…が多分真ん中ので、右がその正室のお墓…じゃないかなーと思う。
(左右の四角いお墓には、女性の戒名が書かれているので)
色部家のお墓フロアなので、これ以外にもずらーっと並んでいます。
ちょっと不思議な並び方してましたが、何か決まりがあるのかしら。
真ん中の色部勝長さんのお墓形状は越後の謙信墓と形状が似ていて、
左右のおそらく色部正妻のお墓は菊姫(景勝正室)のお墓と形状が似ています。
越後の伝統的な当主・その正室のお墓形状なのですかね?
(ちなみに、どちらも越後で見た上杉三郎側室のお墓形状と異なっていました。
 なので、正室や身分の高い人用形状なのかなー?とか)
他の方のお墓をあまり知らないんので、また越後に行った時は他のお墓もチェックしてみようかなと思っています。
  

保呂羽堂
色部さん墓よりこっちのが有名らしい。
病害虫、凶作を退散させるお祭り?である裸もちつきで有名。なんで裸なんだろう。



上杉家廟所
  

謙信廟所
謙信の遺骸は、明治になるまで米沢城内にあったので、実は上杉廟所で一番新しい廟は謙信廟なのですって。
 

景勝廟所
必然的に、一番古い廟は景勝さん廟所ってことに。
お花がたくさん供えられていました。
 

景勝さん息子の定勝さん廟所



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岩手 平泉

2015年10月


平泉文化遺産センター
写真OKフロアとNGフロアがあるんだけど、ここはOKフロア。
企画展示室でした。

等身大
絵とかだと平安時代の女性ってすっごい髪長いけど、やっぱりこれくらいが本当なのかな。
あんまり長いのはかもじとか。
 

重陽の節句。
昔は、重陽の節句の前夜に菊の花にこう言う綿を乗せて、朝綿についた朝露で身体を清めたそうです。雅。


平安は男性でも片膝立てて座るのか…。
戦国時代だと、片膝立ては女性の座り方ってイメージある。
 

寝るとこ。これ、天井が特に蚊帳になっていないし、布もないと初めて知った。
 
服にお香を焚きこめるよ!


釣り香炉。かわいい。
 




中尊寺・金色堂
お山の入口。
 

入口のちょっと手前にある弁慶のお墓。


登っている途中にたくさんある寺の1個。
確か目と足に効能があるとこ。


こっちは同じく登る途中にいくつもある神社?の一つ。


中尊寺 本堂
 


金色堂は写真NGなので、写真なし~。
金箔キラキラなので、雨風から守るために覆堂と言う建物の中に入っています。
キラキラしてて綺麗でした。金箔もだけど、貝を使った螺旋細工が素敵!
キラキラなのに上品でした。

金色堂出たところにあるなんかお堂。かわいかったので写真。


むかーしの金色堂の覆堂。
 







毛越寺
 

寺の大門。
昔は、今は大きな池がある側にお寺があったのかな?
 

紅葉が綺麗でした。


発掘された平安時代の水遺構を再現して作った小川。
毎年、平安時代の小川を使った歌会の宴が開催されるとかなんとか。雅。




紅葉の季節で綺麗でした。
中尊寺は山を登っていくと、緑→黄色→赤に変わっていって、ちょうど紅葉に切り変わっていったとこなのかな。
全部が真っ赤になってるのも、きっと綺麗でしょうね(・v・*)

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岩手 藤原の郷

2015年10月

岩手にある歴史公園えさし藤原の郷に行ってきました。

奥州藤原氏をメインとした東北歴史テーマパークです。
時代考証に基づいた建物がずらーっといっぱいあって、大河ドラマの撮影とかにも使われている場所。

見張られている私
    


政庁。正殿?ですって。
あと会議中のおえらいさん。
ここに薙刀とか、下駄とか、弁慶が背負ってそうな背負子があって、実際の触って背負ってOKなため、無駄にテンションだだ上がり。



菊が飾ってありました。菊コンテスト?が開催されてたみたい。きれい。




主:源義経(牛若丸)の最後の刻を護る弁慶さん。





砦…戦国以前っぽいお城に入るよー。
 

米蔵!
鼠避けとか、湿気避けに高床式なのかな。
中には米俵がいっぱい。
 

ボロい家にやけにテンション上がる。
中見たかったけど、ドア閉まってた(´・▽・`)
隣の白壁の家は、床が土間なんだけど、内部の一部に板床があるの。
他の建物もそう言うのが多かったんだけど、庶民の家はそう言うところが多かったのかな?
   


おえらいさんの御屋敷エリア。





お風呂。昔のお風呂は蒸し風呂とか、湯帷子着たまま湯をかけるとか。
残念ながらこれも中にははいっちゃダメな建物でした。きになるー。
    

馬小屋。
昔の馬小屋は、馬を大事にしているので、馬スペースが板張りなのですって。
後ろ見てみたら、馬1頭スペースごとにドアが!
車の駐車スペースみたい。


門番さんの見張り台。




中村の郷。
大河ドラマ「秀吉」で、秀吉の生家として使用されたそうです。
近くに行くと、かなりボロボロ!もうちょい奥の建物は水没してるし。
でもそこも雰囲気あっておもしろいなぁって思ったりもしました。廃墟?なかんじ。




一番面白かったのは、オススメコース最後の「伽羅御所」ここはすごい!すごくいい!
三代目藤原秀衡の屋敷跡を再現したところだそうです。
平安時代の寝殿造様式で、寝殿、侍廊、蔵人所、料理所、玄関があり、狩衣・打掛を着たりもできるのです!(おいてあるのを自分で羽織る)
(なお、ちゃんとした十二単とかを着たい場合は、予約とか必要みたい)
あ、あと、牛車置場もあった。

多分屋敷の主人とかがごはんしてるところ。


蔵人所。
家臣の詰所だそうです。


お庭と廊下も素敵なかんじ。



思ってた以上に面白かった。
建物好きなら、楽しいんじゃないかな―と思います´▽`


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唐突ですが。

ブログ名変えました。
色んなところに行くから「いろいろ道中記」。

11/30
またブログ名変更したと言うか戻しました。
URLとタイトルが違うの変かなって…。

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