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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

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柿崎家文書特別展示

2016年8月


柿崎家文書が、上越市に寄付された記念の特別展示行ってきました。
学芸員さんの展示説明も!


展示されている書状は前から存在は確認されていたものなので、1通を除いて上越市史の上杉家文書に掲載済み。

学芸員さんの説明で面白かったのが、
普通の人は書状が展示されてても何を書いてあるかはわからないことがほとんどだけど、書状の折り跡や年月による焼けで欠けた書状の形から、元の畳み方を推測するのがおすすめ!って話。
手紙をどんな形で持ってきたのかが、焼け方でわかりますよって話で、ほんとだ!!と。

(ところで、↑の紙の一部で結ぶのってほどけないのかしら)

折り方でも、書状の重要度とか各家の作法とか違うそうなので、覚えるととても楽しそう。
墨の色や、文字の細さでも決まり事があるんですって。め、めんどくさ…。
 けど、そういうのって外交にすごく大事な部分で、各家の礼儀なども熟知してないといけないはず…。
柿崎景家さんはそんな外交奉行だったので、知能派だったと思いますよとのこと。
自分も、柿崎さん外交奉行ってことは頭いいと思う!って主張していたので嬉しい…。


あと、これらの書状を「柿崎家が」持っていたことにも意味があると。
柿崎家宛てじゃないものがあったり、
柿崎景家が処刑されたであろうことを示す文章があったり。
(亡くなった理由に、病死説と謙信に処刑された説がある)

あと、景勝が謙信生前から後継者扱いされてたかどうかがわかりそうな書状もあるけど、うまい具合に大事なところが読めなくなってて、これが読める状態ならなぁとか。
わざと読めなくさせたってこととかはないのかなーと、聞きながら思いました。


説明もわかりやすく、とても面白かったですよー。


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新潟 上越市 岩手城(通りすがり)

2016年8月

柿崎景家さんの菩提寺の楞厳寺さん近くの岩手城。車内から撮影。




上越市の学芸員さんが、自分はここが柿崎の本拠地だと思ってるとおっしゃっておりました。

柿崎駅の近くにも柿崎城ってのがあって、柿崎景家居城とも言われてるのですが、
そっちは居城ではないのでは?と言われているみたいです。

わりと居城の麓に菩提寺ってあるし、なるほどーとかも思ったけど、
米山寺城のが楞厳寺さんから近いし、なんであえての岩手城なのかしら。
何か調査結果とか、地理的なものとか、曲輪とかが住みやすそう~とか。気になります(´▽`*
機会があったら、登ってみたいですね。

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新潟 上越市 楞厳寺

2016年8月

柿崎景家(上杉謙信の家臣)の菩提寺、楞厳寺(りょうごんじ)さんに行ってきました。



柿崎景家さんがお寺を再興したといわれています。
その際、天室光育さん(上杉謙信の子供の頃の師匠)をお寺の住職としてお呼びして、建立したとか。

     
本堂
なんと築300年!
南魚沼の雲洞庵を建てた方がこちらも建てたとか。
昔は茅葺屋根だったそうです。


本堂の中(撮影及びWeb公開許可いただいています)
 
お仏間。

 
元々は修行寺だった頃の名残の看板。

 
天井見てたら、籠が天井にありました。籠ってこうやって保管するんだ…。
住職さんが乗ることもあるんですって。



お寺さんでよく見かける魚の…鐘?太鼓?叩かれる木の板みたいな魚の形のやつ…。
魚鼓って言うみたい?ですね?なんだかかわいい。



山門。
柿崎城の搦手門を移築してきたと言われています。茅葺屋根の素敵な門です。


 
天室光育さんのお墓と、歴代住職さんのお墓。
多分歴代住職さんの一人だと思うのですが、「毒龍和尚」って方の
お墓があってとても気になりました。すごく強そう。


柿崎景家さんのお墓。
元々は五輪塔のお墓だったのが、年月たったせいで不定期型になったそうです。
最近、屋根付きになったそうな。



この時、特別ツアーでしたので、普段公開していない(のかな?)
柿崎夫婦の絵、柿崎景家さんの奥様の厨司、柿崎景家さんのご位牌、天室光育さんの直筆の書状など見せていただきました。
おぉ…とても貴重なものを…と感動でした。
天室光育さん、めっちゃ男らしい字だった。


楞厳寺さんにある位牌では柿崎景家さんの戒名は「籌山雲忠居士」
寺伝では景家さんの奥様の戒名は「陽林喜春大姉」
とのことでした。(奥様の戒名は住職さんに教えていただきました)
景家さんは猛将で有名ですが、外交奉行ってことから、きっと頭が良い人なのだろうなーと思っていますので、私的にはイメージあってるかも。
あと、奥様の戒名がすっごい優しげでかわいいですね!明るい朗らかな方だったのですかねー。



お墓までの道などもとても素敵で好きです。


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鬼小島弥太郎のブログ作ってみました。


>やたろう探し<

鬼小島弥太郎が実在するのか、実在しないならいつ頃から伝承に現れたのを調べてみたい、そんなブログ。
まだできたばかりなので、記事少なすぎですけども。
このブログの中に作ろうかなーと思ったのですが、混ざるとわけわからなくなりそうだったので、別にしてみました。

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石垣山一夜城

2015年1月


豊臣秀頼の小田原攻めの時に築かれた石垣山一夜城
早川駅から歩いて登りました。
坂道になるところまでがちょっとわかりにくいかも。


途中にあったマンホール。
花嫁さんが、裸の男たちに運ばれて…!?
 

途中にあった、小田原城攻め中に病没してしまった堀秀政さんのお墓。


登る途中にこんな看板もあるよ!
そこそこ長い道のりですが、チェックしながら登ると楽しいです。







たどり着いたぜ一夜城。


縄張り図はこんなかんじ。


南曲輪を登ります。
  

立派な石垣!!
小田原城攻めのために作ったって聞いてたので、もっとちゃちいのかと思っていた…。
よく運んだなぁ。
  

天守台に登ります。
 

天守台で小田原城方面?を見た図。
木に覆われてわかりにくいですが、
 天守台 → 本丸 の向こうに小田原と海が見えます。
木がなかったら、すごく見通しが良かっただろうなぁって地形ですね。
 

二の丸から見た本丸。
ちゃんと段差がはっきりあって、曲輪ってわかる。


井戸曲輪。
淀君の化粧井戸とかも呼ばれているらしい。
秀吉に、陣中に来るよう淀君よばれたので、ここに来ていたそうです。
   

予想以上に、立派な石垣とはっきりした曲輪、そして小田原と見通せる位置関係になかなかの衝撃を覚えました。
ここで見てから、小田原城からの眺めも見るとなかなか当時を想像して怖くなります。



ちなみに、一夜城の目の前には「一夜城ヨロイヅカ・ファーム」ってケーキ屋さんがあるんだけど、おいしいのでおすすめです。


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