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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

春日山 謙信公祭とかちどき飯

2015年8月


謙信公祭りに行ってきました。
武者行列と一緒に春日山からくだって来て、広場に行って川中島合戦見て。
火縄銃の実演は近くではみれなかったけど、音が大迫力ですごかったですね。
火縄銃は春日山神社での武者行列出発前と、川中島合戦前に行われるのですが、
武者行列出発前の時は自分は本丸(春日山城の頂上)にいました。
結構な距離があるけど、それでも音がすごくてちょっと感動。
 

武者行列。
この一番前にいる大きな旗を持っている人、このばかでかい旗をすごい振り回してすごいかっこよかった!


米沢の米沢藩古式砲術保存会の方々

この銃の持ち方と歩き方がなんか特徴的でかっこいいですよね。
何か理由とかあるのかな?バランスとるためとか。


Gackさんが謙信役でいらっしゃいました。
馬に乗って駆けてきて、片手で刀持ち上げたまま馬を操って。
おおすっげーとか思ってみてました。



合戦じゃー!!
Gackt謙信が出てきたり、きつつき戦法したり、挟み撃ちしてみたり。
  


とても迫力があり楽しい合戦でした!
最後の花火も綺麗でしたし。
帰り際に、各武将さんと部隊が名乗り?寸劇?してて、それ知らずに帰りかけしまった。
途中で気がついてちょっと見てましたが、そちらも面白かったので次回はちゃんと見てみよう…。





7~8月中、春日山・高田で「謙信のかちどき飯」として、戦国時代にあった調味料・製法だけで作った料理を出してくれるお店があり、食べてきました!
私が行ったのは高田駅前 高田ターミナルホテルのレストラン大黒屋 です。

全体的に味が濃く、おいしかったです。
味の濃さとかから考えて、信長のレシピとか参考にしているのかなー。
出汁は鰹節、味付けは味噌中心。
お刺身が、醤油の代わりに煎り酒(鰹節汁を日本酒に入れアルコール飛ばしたものに梅干し混ぜたもの)だったのですが、これ美味しかった…。私も作ってみようかな…。
メロンと巨峰は当時ないと思うのですが、「水菓子」として出されているからかも。

あと、かちどき酒として、秀吉が愛飲したお酒の復元「天野酒」が出されたのですが、これがまた美味しい…。
買えるかな―と今検索してみたら、今年分品切れ中だった。
来年また検索してみよう。

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妙高 鮫ヶ尾城

2015年8月


上杉謙信の後継者争いの舞台の一つとなった鮫ヶ尾城に行ってきました。
謙信の養子の一人である上杉三郎景虎は争いに負け、ここで切腹。
後継者は勝者である上杉景勝となりました。

こちらは弥生時代の斐太遺跡もあり、戦国時代の鮫ヶ尾城共々史跡公園となっています。
斐太遺跡の方も防衛用の環濠跡があり、ずっと昔から防衛に向いた場所だと認識されていたのでしょうね。


多分こんなかんじに登って降りた。
(正確な道順はよくわかってないので、大体ここらへん)

ちなみに、大堀切2と南遺構群の下の方にも行こうとしたのですが、途中でハチの巣があり近づいたらハチの数が一気に増えたので断念…。
ハチに敵認識されてた…。


本丸
見渡しが良い!
ここから、春日山城、日本海、箕冠城などが見渡せます。
行くまでちょっとわかっていなかったのですが、妙高って山も多いけど平地部分も相当多いのだなぁと、本丸から見渡して思いました。
敵の軍勢とかよく見えそうでちょっと怖い。


大堀切1
三の丸曲輪・大手道に行く道。
右側が堀切のために大きな崖になっているので、通る時は注意が必要。


三の丸
戦国時代の焼きおにぎりやお米が見つかった場所、だったかな。
土塁も残っています。


三の丸すぐ下にある大きな井戸。


大手道
井戸を進んだ後に虎口。
それより進むと段曲輪になっておりました。
建物も建てられそうな広さだし、家臣屋敷跡とかありそうだなーとか思いました。

登る途中にある景虎清水。
景虎清水に入る道の右側に、段々になっているところがあり、段曲輪かな?とか。
  

弥生時代の斐太遺跡
住宅跡の先に環濠跡がありました。段差がある。
戦国時代もここも利用したりしているのかな。
あと、ちょっと凹みがある場所とかが住宅跡(竪穴式住宅?)らしく、そんなこともわかるのだなぁと感心していたり。
 


総合案内所の近くに竪穴式住宅あって中に入れておもろい。
結構中も明るいよー。


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高田城・榊神社

2015年8月

高田城


三重櫓
復元したものですね。
内部が展示室になっているので入れます。高田城関係と、ちょこっとお隣駅の春日山城関係。
天井の梁とかが見れるのが楽しいです。


極楽橋
こちらも復元したもの。
本城御門(南門)です。江戸の頃は、この橋を通るを一旦虎口になっており、門を通って本丸へと進むようになっていたそうです。


水掘の蓮(西堀)
蓮終わりかけだったそうですが、それでもとても見事に咲き誇っていてとても綺麗でした。
ここの水堀に蓮が植えられたのは明治4年に藩の困窮を助けようと植えたのが始まり、とのことです。
ピンクと白の蓮があって素敵です。
  


榊神社(高田城 対面所・大手門跡)


馬出し
高田城の大手門(正面玄関)に入るための場所。
ちょっと低くなっている箇所がこの写真に載っていない箇所にもあるのですが、そこが堀になっていたそうです。



土塁色々

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妙高 関山権現

2015年8月

上杉謙信が、当主の仕事に嫌気がさして出奔(家出)した時にいたと言われている場所です。

静かな神社。お社の天井や欄間の細工がかっこいいかんじ。



  


なんかあった。軍艦妙高記念碑とかなんとか。


土塁と堀も見受けられます。
昔はこういう神社やお寺は避難所のような役も果たしていたので、防御用にこういうのも結構ありますね。
 


少し奥に行くと、昔の墓地と、異様に大量にある墓石なんかも。
土塁と堀は下図でメモったところ以外にも広がっていました。
 

赤丸つけたところに、上杉三郎景虎(謙信の養子)の側室さんのお墓もありましたよ。
上杉三郎景虎が後継者争いで敗れた後に、ここへ側室さんが逃げてきたとか。


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妙高市 鬼小島弥太郎館跡

2015年8月


伝鬼小島弥太郎館跡

上杉謙信の側近…と言うか護衛とかしてた猛将の鬼小島弥太郎さんの館跡。
本当にいたのかわからないと言われていますが、私が鬼小島大好きなために、ここは来ないと!と思って。
鬼小島は妙高出身とも言われていますね。

石碑と、後ろになんかの像。


全体的に堀が築かれていますね。
堀全てが当時からの遺構と想定すると、石碑の位置から左右に分断された郭(って屋敷でも言うのかな)があるかんじ…?
結構な広さがあります。
堀もただの四角じゃなくて、クランク状になってる?部分もいくつかあるようでしたー。
また行けたら、堀形状も地図に書いてみようかな。

 



多分、これが噂の弥太郎橋?
橋の左右に武者の絵がありました。




明確な住所はわからないのですが、
 株式会社アルゴスさん(新潟県妙高市東陽町1-1)と
 新潟県妙高市高柳1丁目17-11
の間の、野球場?っぽい広場-空き地の間に石碑と像があります。
株式会社アルゴスさんの目の前ですので、行く方はこちらを目印にするとよいかとー。
google mapさん曰く、新井駅から歩いて20分らしい。






追記。
別の日にまた行ったので、縄張り図を書いてみました。下記ブログに掲載。
やたろう探し 高柳館跡

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