2007年11月
※過去記事の修正版です。
川中島合戦場
行ったら川中島合戦中でした。
この時は、イベント日と知らずにいったので、ちょっとびっくりしました。
合戦のリハーサル中の写真ですね。
長野市立博物館
風林火山展及び、常設展がやっていました。
風林火山展は本当に『大河・風林火山』の展示会です。
常設展は合戦のはあんまりナシ。
弥生時代の暮らしと、戦国~江戸の農民の暮らし中心。
農民具とか見るの好きなので、楽しかったです。
名主のおうちとか。地震計の展示も多かった。地震が多いトコなんだって。
昔の中国の地震計(震度はわかんないけど、震度1とかでもわかるようになっている計測器)の模型があったよ。
有名な信玄と謙信の一騎打ち像。
第4次川中島合戦の戦没者の首塚の内二つ。
海津城主・高坂弾正が敵味方の区別なく葬ったそうです。
(普通は敵戦没者は葬ってもらえないし、略奪の対象にもされる)
首塚はほかにもいくつかあるらしい。
塚の下には、今でもたくさんの首が埋っているのでしょうか。
妻女山
謙信の陣地跡。
なかなかよい景色で、戦場を見渡すのにも最適です。
車で登る道の入口には、『謙信槍尻の泉』と言うのがありました。
なんでも、謙信が槍尻で着いたら水が湧いたと言われているそうです。そんなバカな‥‥。
まぁ、実際そんなワケはないのですが、川中島には信玄・謙信の伝説が多々残っているらしいです。
最初「謙信尻の泉」と読み間違えた。
海津城(松代城)
左:北不明門、右:天守台跡
初代城主、高坂弾正。
いくらかの城主の後、真田信之が城主になり、幕末までずっと真田の城だったそうです。
海津城は本丸と少し二の丸が入れます。
海津城と松代城が同じものだと、この時初めて知りました。
門は復元。石垣は一部は残っていたもので、修理や復元をしたものらしいです。
近所のおうちとかも、新しい建物ほど和風になっていました。
観光助成金とかでも出てるのかなぁ。
真田宝物殿
見ていると妙に素人くさい作品が多々あり、説明を見ると必ず「xx代藩主の作品」。
なんかこう、有名な人だとこう言うの残るんだなぁとかちょっと思いながら見てました。微笑ましい?かんじ?
有名な真田家文書とかも宝物殿で売ってましたー。