2007年8月
※過去記事の修正版です。
春日山城史跡広場?だっけ。
謙信祭イベント会場。毘沙門天と乱れ龍の旗が空にたなびいておりました。
春日山城のお堀?
ここの鴨が暴れたら敵襲ーって判断の一つになってたとか。
道に迷いつつも春日山城こと春日山神社に着く。
春日神社。中に入ってないー。通り過ぎました。
春日山神社
甘粕さんの屋敷跡。
全体的に『屋敷跡』の平坦部が狭すぎるんじゃないかなぁ?と
思っていたが、なんでも斜面に屋敷を建てていたらしい。
平坦部だけに建っていたわけじゃないのね…。
三の丸。上杉三郎景虎屋敷跡。
謙信の養子の一人で、姪婿。
義弟である景勝さんとの後継者争いに負けて、お亡くなりになりました。
立派な看板アリ。小説『炎の蜃気楼』で訪れる人が増えたらしいです。
米蔵跡とも書いてあったので、米蔵があったのですね。城機能の中核施設。
土塁。
二の丸屋敷跡。
中腹あたり。
台所屋敷、人数溜、お二階、二段目があった、という説明はわかるんだけど、「お茶屋」があったって看板にありましたが、お茶屋‥‥?
茶室のこと、でしょうか??それとも休憩所とか、本当にお茶売ってるとか‥‥。
近くに笹井戸跡って井戸があった。こわい。
看板なかったら、足突っ込みそうです。草に覆われてるし。
樹齢500年くらい?の木があった。(確か)
謙信たちがいた頃にもあったはずだよ、と歴史ボランティアらしきおじさんが教えてくれました。
御成街道
関白だった近衛前嗣が通ったからこの名前らしい。
柿崎屋敷跡
広い平坦地。
ここから桑取道(春日山古道)に入れるそうです。
昔は重要な軍道だったそうな。
今は散歩道程度に整備されているそうなので、いつか歩いてみたいなぁ。
景勝屋敷跡
ここから三郎ちゃんの屋敷に銃撃したとか言われていた気がするが、
今では木が生い茂ってよくわかんなかったよ。
井戸曲輪
すごいでっかい井戸!!
サイフォンの原理で、勝手に湧き出してくるらしい。すげー。
横の崖は油流しと呼ばれているそうです。
あまりの急斜面で、油を流したように滑ってしまうことからだそうです。
本丸・天守閣跡。
イベントで使った狼煙の燃えた後がありました。
護摩堂
謙信が戦勝祈願や息災をお祈りしたトコ。らしい。
今はお堂っぽい休憩所があります。
毘沙門堂
謙信が拝んでいた尊像は米沢にあるんだけど、そのかけた部分をお腹に入れた分身が
安置されているそうな。
お花畑
お堂にお供えする花とか、薬草などを育てていた場所だそうです。
少女趣味な謙信のことだから、趣味も兼ねていそうな気が微妙にする。
直江屋敷。
お花畑の真下。ろまんちっく?
虎口。
虎口って…。あの虎口だよね…。
土塁で作ったそうな。
うーん。でも、石垣の平城の虎口のイメージが強すぎてピンと来ないなぁ。
今度行ったらちゃんと見てみよう。
帯郭。
山城で特に大事なトコを守るためによく作られたそうな。
本丸周辺と直江屋敷と囲むように作られていることから、直江家の重要度がわかるなぁ。
空堀。
そういえば、武田の要害城にもあったなぁ。
普段は橋がかけてあったそうです。
イザって時に堀が道を分断する役割になるのね。
千貫門
道っぽい切通しが近くにあるのだけど、侵入者が来た時に突き落とすだけの
空堀の底だそうです。
…。痛い痛い。
お屋敷。
神社の右側の下の方だそうです。
城主の屋敷跡…。ってことは謙信も?
ん~。ちょっと勉強不足でわからない…。今度調べます。
説明文にこんなん書いてあった。
「お屋敷」と名付ける大きな郭(60x110メートル)がある。
上下に右近屋敷そのほか大小の郭があり「根小屋」を形作っている。
その下に黒金門や蓮池があり、この口が府内口で、春日山神社の郭の道が通じている。
神社に戻ると、出陣式の直前。いいところで戻りました。
上杉武将(役)の人たちが神社で必勝祈願。
武田軍勢も揃っています。
火縄銃の実演も。
すげぇ音!!!あと煙。
火縄銃実演は始めて生で見ましたが、すごいですね。
予想していたよりもすごい迫力です。
煙で前が見えなくなることは確実そう。
大名行列…でない…武将行列……?
行列が動き出す準備が始まったので、着いていきました。
個人的には、殺しあってしまった景勝・景虎義兄弟が仲良く一緒に歩いているのにちょっと感動しました。