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あきいろ道中記

旅行や城めぐり等のレポートを記載して行こうかなと思っています。

要害城・躑躅ヶ崎館跡と武田24将屋敷跡

2007年8月 以前の記事を修正したものです


甲府。風林火山展やってました。


積翠寺までの観光バスがある~と書いてあったのでバス乗り場に行ってみたのですが、バス、1時間に1本。時間もないことだし、タクシーにて要害山入口まで向う。

タクシーの運転手さんによると、最近は大河の影響で武田神社に人が来るようになったけど、その前にやってた『天と地と』って大河で武田VS上杉が有名になるまで、武田神社は『観光地』ではなく、地元の人がお宮参りや初詣に来るような、どこにでもある神社、と言う感じだったそうです。意外。
信玄と謙信の戦いっつーたら江戸時代には人気だったはずだけど、明治・大正と言った辺りに廃れてしまっていたのですかね。


要害城

要害城は武田信玄のお父さんの信虎が作った城。
政治と居館は躑躅ヶ崎館、要害城は攻められたときに籠る城です。
信玄のお母さんが信玄を身篭っているとき、敵が攻めてきたので要害城へ避難しようとしたが、身重で山を登れず、積翠寺に隠れて武田信玄を生んだとかなんとか。

積翠寺温泉・要害の入口に、要害山の登山道入口があります。

甲府市役所HPに『散歩道』と記載されていますが、どちらかと言うと山道ハイキング。
登る途中で竪堀、土塁、曲輪などがあり。



武田不動尊像。
中腹辺り。この像は江戸時代後期に建てられたのこと。

最後の門跡を越えると、主郭部跡があります。
設置してある碑は『要害城跡』でなく『武田信玄誕生之地』


360度要害城主郭跡。
長方形の空地。周りは土塁が見られます。
庭園に用いられたと思われる石もある~と看板に書いてあったので、建物だけでなく庭もあったみたい。
東西73m、南北22m。





積翠寺
武田信玄が生まれたところ、かな。
積翠寺の井戸の水で産湯を使ったそうで、井戸が現存しています。
あと、武田信玄が和歌の会とかよくやったらしい。(武田信玄、和歌が趣味)
昔は石水寺と言う名前だったそうです。

右の堂は入って左手にある不動堂(だと思う)。
この堂と本堂の隙間の道を入って、裏手に庭があります。
お庭にお邪魔すると、日本庭園になっていました。
その先に信玄の産湯の井戸。


竜宝の墓

↑これがお墓なのかはよくわからなかったが、ここら辺が信玄の次男竜宝のお墓と伝えられているそうです。
生まれつき目が不自由で、早くから仏門に帰依していた人。
入明寺と言うところで武田氏滅亡の際に自害したので、そっちにもお墓はあるそうな。


信玄公墓所

ここに埋められているわけではなく、ここで火葬したと言われています。
遺体がどこにあるかは謎。
遺体を隠したため、色んな説がありますねぇ。
個人的には諏訪湖に沈めたって説が何かロマンがあって好きです。


躑躅ヶ崎館跡こと、武田神社
武田信玄のお屋敷です。


大手門跡

左:大手門、躑躅ヶ崎館外から。  右:大手門、躑躅ヶ崎館内側から。

今はないけど、大手門の前に三日月側の堀があったとか。発掘作業中。
山本勘助が考えた堀とかかいてあったようなそうでないような。
発掘したら、確かに堀の跡があったそうです。

武田神社宝物殿
個人的に非常に気になった具足…。何故か1つだけ、食べ物が供えられてる…。
なんとなく、夜になるとこの具足が勝手に動き出す光景を想像してしまった。

信玄公御使用井戸


姫の井戸
武田信玄の娘さんの産湯にしようしたと言われているそうです


武田水琴窟。
これは江戸時代に入ってから作られたみたいなことが書いてあったような気がします。


堀や土塁のような、昔の姿も多少残っています。
あまり人の来ない、こんな道。
武田信玄がこの道を歩いたりしたのかな、なんて考えると楽しくなります。


梅翁曲輪の堀(現在住宅)






以下、家臣団屋敷跡。
要害城から歩いて見つけた順に記載。
現在住宅になっている部分は写真非掲載にしています。
どこも看板があるので見つけやすいです。

武田刑部少輔信康屋敷跡
現在田んぼ。武田神社こと躑躅ヶ崎館の大手門から見て左後ろ。


小山田左兵衛門尉信茂屋敷跡
躑躅ヶ崎館左裏。現在駐在所と住宅があります。

土屋右衛門尉信続屋敷跡
小山田さんの更に裏。小山田さんとお隣さん。現在住宅と空地。

山本勘助晴幸屋敷跡
躑躅ヶ崎館裏から500mくらい。現在住宅。右側公園。


真田源太左衛門尉信綱屋敷跡
躑躅ヶ崎館かた見て勘助屋敷の斜め左手前。現在住宅。

内藤修理亮昌豊屋敷跡
梅翁曲輪の横。現在住宅とゲートボール場。

板垣駿河守信方屋敷跡
同じく梅翁曲輪の横。内藤のお隣さんで躑躅ヶ崎館大手門側。現在住宅と畑。

馬場美濃守信治屋敷跡
躑躅ヶ崎館左で穴山・高坂屋敷の後ろ。屋敷かなり広い。現在住宅。

穴山玄蓄頭信君屋敷跡
躑躅ヶ崎館左。現在は空地と住宅であり、武田神社入口正面。

★要害城から歩いてくると、ここで躑躅ヶ崎館跡こと武田神社に着きます。

高坂弾正忠昌信屋敷跡
躑躅ヶ崎館大手門からすぐ左。現在は住宅。
大手門のすぐ近く。
高坂んちから、躑躅ヶ崎館(の大手門方向)をみた写真。
石碑は太平洋戦争かあの辺りの慰霊碑みたいでした。


真田弾正忠幸隆屋敷跡
高坂のお隣さん。大手門寄り。
武田三弾正の攻め弾正ですね。(高坂が逃げ弾正、保科さんが槍弾正)
有名な真田幸村のおじーちゃんです。信之とか幸村も子供の頃ここに住んでたのかな?

横田備中守高松屋敷跡
真田さんちから大手門前を過ぎたところ。躑躅ヶ崎大手門右手。現在田んぼでした。

甘利備前守虎泰屋敷跡
真田さんち左斜め前。護国神社の入口前に看板アリ。住宅地です。
こっそりしたとこにあるので、探すとき注意。

山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡
住宅と学校。学校の裏門?に看板。何故か看板が一番ボロボロ。
武田の赤構えで有名ですね
最初に赤備えしたのが飯冨さん?で、他にも小幡さんと浅利さんが赤備えしたらしい。
真田と井伊はこの赤備えの伝統から来たみたいですね。


小畠山城守虎盛・小幡豊後守昌盛屋敷跡
山県さんちのお隣さん。学校と団地。学校正門に看板あり。

馬場美濃守信春屋敷跡
穴山さんと高坂の屋敷の後ろ。でも二人分の屋敷と大きさ同じ。住宅地。

多田淡路守満頼屋敷跡
板垣さんちの後ろ。住宅地。

原隼人佑昌胤屋敷跡
三枝さんちのお隣さん。畑と住宅。

三枝勘解由左衛門守友屋敷跡
多田さんと原さんちの真ん中。住宅地。

一条右衛門太夫信竜屋敷跡
一人だけちょっと離れたトコ。ファミマと住宅。


武田典厩信繁屋敷跡
住宅地。流石信玄の同腹の実弟で腹心だけあって、おうちでかい。

秋山伯耆守信友屋敷跡
信繁さんちの後ろ。大学校門前。


飯富兵部少輔虎昌屋敷跡
秋山さんちと道を挟んで斜め後ろ。大学校門前。


これにて、武田24将屋敷跡クリア。



家臣団のお屋敷と、武田信玄のお屋敷の近さがとても印象的でしたね。
信頼してたのかなーと言うのが感じ取れて楽しい散策になりました。

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